★悲しみの先延ばし o(・Ω・

なんじゃか、ぴりっとしないけれど、おぼえがき。

おかんは、術後の6ヶ月くらいの記憶がなくて、夢の話しかおぼえてないから、
ぼくは、おかんの手術後にケータイで撮った痛々しい写真をプリントしてある。
海外のおねんに、報告するために、すこしだけ術後の写真が撮ってあったん。
集中治療室で頭に縫い目がある写真は、痛そうで目もうつろでつらそうでな。
その写真、おかんの記憶整理のアルバムの1ページめに置いてある。
 
たまに病室で眺めるようにアルバムにして置いたけれど、最近はもう安心して見てないようじゃった。
だから、先日、「これ、たまに見て記憶補完してな」て1ページめひらいたら、
痛そうなおかんの写真がでてきた。
ぼくはとっさに、「おかん、痛そう!かわいそう!ほら」て見せた。
おかんは、そしたら、なんでか、記憶がないせいか人ごとのように、こういったんだよ。
「おかあさんは、しぬのこわくないの。しんだらなきぼくがかわいそうだから、いきていたいの」
て。

ぼくは、その前の週だったか、深夜の海外ドラマ「ドクターハウス」を見てな。
たしか、末期がんの小学生の賢い女の子の話で。
ほんとは別の複雑な病気で、検査しなければ見過ごして早く楽に死ねる。
でも女の子は勇敢で、がまんして大手術を何度もして、
複雑な病気を治してほしいという。
でも結局がんだから、後1ねんくらいしか持たないかもしれない。
助かってももっとつらい抗がん剤治療を続けるって話があった。
ドラマの中で、正直者のハウス先生が、この手術しなければ、あと1年つらい思いをせず、
早く楽に死ねるて、賢い子にヒントをあげるのじゃが、
「今後のがん治療がつらくても母親のために、長生きしなくてはならない。
 そうすることで、母親がよろこぶから」って言ってた。
先生は、「悲しみの先延ばしか」て言った。

ぼくは、おかんも、ぼくが悲しむから生きているって言ったことで、
とっさに、本当にそうなのかもしれないと思ったから、
「そーだよ。悲しいから、(しんじゃ)だめじゃよ」てゆった。
 
それに、おかんが死ぬかもしれないていう時、
ぼくは、悲しいから連れて行かないでって、おとんのおぶつだんに必死でおねがいしたから。
そのとおりなん。
 
たしかに、ドラマのハウス先生の言ったように「悲しみの先延ばし」なのかもしれない。
でも、じっくりかんがえると、それは、病気だからとか、関係ないと思います。
 
じゃって、どんな人間も、やがてしぬから、先延ばしして毎日いきているきがします。
周りが悲しむから死ねないという人はたくさんいるとおもいます。
 
それと、今日、ツイッターの偉人の名言に、「愛されるより、愛するほうが幸せ」て書いてあって。
感慨深かったです。

と、とにかく、でも、悲しむから死ねないのと、そのほかにも、ほんまは、いろいろあんねんで。
みながみな、悲しみの先延ばしを目指すからには、なにか大きな意味があるとばくぜんとおもいます。
それを、しっかり、おかんにつたえたいです。
今の施設は、長く抗がん剤うちながら寝てる人もいます。
たぶん、そういう人みていると、おかんもおセンチになってしまうのかと思います。
  
そして、来週あたらしい施設にひっこしたら、おかんが、料理や手芸をして、
新しい場所でニコニコと、新しいお友達と楽しく過ごせればいいなと思います。
どうせ先延ばしなら、出来るんなら、希望とか夢のある、先延ばしできるうちは、そうしてほしいやんか。
じゃから、はやくおかんが、楽しそうに日常を過ごす様子をみたいです。
 
同様に、ぼくも、楽しそうに暮らしていないと、おかんがしんぱいするから、
なるべくめそめそしないで楽しくいきいきと暮らせるようになりたいです。