★ひっこしがおわって、すこし、はしゃぎました o(・Ω・

おかんの施設の引越しが無事終わり、しさしぶりに仕事の関係の人と飲みました。

久しぶりに会ったひとたちに、おかんの事をいろいろ話した。
記憶も良くなり、歩き始めたことや、今は自由な施設に移動できたことなど。
おかんがよくなって、おめでとうって、いってもらえた。それで、乾杯してくれた。じーん
店に、遅れてきた人がくるたび、
「今日はなきぼくくんのお母さんの快気祝いもあるから、おめでとう!」て何度も乾杯してくれて、みんなでグラスをがちゃんがちゃんした。
もう、グラス的なものならなんでもよくなって、端立てなどをがちゃんがちゃんし始める人もいた。
 
去年倒れた直後は、仕事先の人には、重すぎてはっきりいえないから、軽く報告してた。
それで仕事の人たちは去年から「近々快気祝いしましょう」って、励ましで、ゆってくれてた。
けれど、ぼくは、そんなん、ずっとできないかもしれない…と思ったこともあった。
じゃから、なんじゃか、ほんま、おかん元気なって、こうして笑顔でおかんの事話せるようになってよかったです。
 
ぼくは、施設で見たいろんな心の事や、施設のお祭りのこと、可笑しかったこと、記憶の不思議、不思議な人の話などを、身ぶり交えて必死に話した。
みな興味しんしんで、きいてくれて、笑ってくれた。
 

「なきぼくくんが、立ち上がって話すなんて、めずらしいね!」て、しみじみ喜んでくれたりもした。

それは、フレンドリー王のちっちで、ちっちは、ぼくが心を閉ざしてた時期を知ってて、
ぼくをひきこもりから世の中に引っ張り出そうとしてくれた人です。
じゃから、たぶん、ぼくがこんなに、元気にしゃべるのを、みて、喜んでくれてるぽかった。

フレンドリー王は、いい人やのに、傷ついても世の中のごたごたにも凹まない人で、さまざまな知識や人間社会にどん欲で、がんがん人の中に入って、人間と人間を結びつけていく本能の持ち主です。
でも、いい人すぎて、一流のグローバルなビジネスマンを経験したのち、責任とってどん底を体験し、
いまは、その才能を、表から裏社会までのばしてます。
帰りの電車がいっしょになって、今日はずっと、トカレフの魅力と、日本刀についての知識をおしえてもらいました。
 
そんなちっちは、よく、ぼくの悲しい時期の事を、やんわり口にする。
他の人はあえて口にしないようにしてるけれど、ちっちは、普通に口にする。
ちっちは、すごいどん底経験しているからか、そのような悲しい話題は平ちゃらなようだ。
だから、ちっちは、ぼくの成長をずっとみてくれている感じがして、うれしいような照れくさいような感じがします。
 
裏も表もある人間やけど、ほんまに、本音と建て前も意識的に使い分けているようです。
しかし、建て前を通したのち、ちっちは時期が来たらしっかり本音を共感しあってる気がします。
なので、なんじゃか、建て前やハッタリやヨイショも、嫌味なく思えます。
ぼくも、飲みの席で、「ほんとうのきもち」を素直にしゃべって共感しあえるくらい、いろんな仕事の人となかよくなれたら、ほかの仕事場でも苦しくならずにすむかもしれない…とおもいました。
ぼくは、、「ほんとうのきもち」をいきなり伝えようとしたり、建て前の会話がへたやので、
少しでも見習えたらいいなとおもいました。
 
ちっちは、おとんの葬式にもきてくれて、おかんと会話したことがあるので、
おかんの事も、ぼくの事もきにかけていて。
きっとおかんに、「ちっちと飲んで、ちっちが、快気祝いでおめでとういってくれてたよ」て報告したら、おかんもよろこぶとおもいます。