★おとんのように o(・Ω・

すこし、嫌われるくらいのほうがいいんかな?て、今日おもったことのまとめ
 

ぼくは今年おとなになったとおもいます。

 じゃけど、気が狂いそうなほど、むいいってなる日もたくさんありました。
窓ガラスをみると、ばりーんてパンチで割りたくなる日もいぱいあってん。
足痛くなったり、蕁麻疹でやすくなったり、あごのニキビがなかなかひっこまん。
一人でカラオケもいったし、道でないたり、バイオリン買って気分落ち着けたり、プランターの土をトントンしたりした。
 
 人付き合いをして、いろんな人が居るというのはわかったけれど、いろんな人付き合いの仕方も、考え方もあるんやと思った。
 
平均的にはおとなになったかもしれないけれど、ぼくは、それで、うれしくもあるし、くるしくもある。
 
ぼくもおかんも、お人よしやし、控えめな性格やし、それを美徳とおもっている。
いまも、おかんからみたら、ぼくが積極的に人と会話している姿は、心配でならないらしくて、それがぼくを苦しめたりします。
 
この解決方法はないから、ときどきけんかしたり、あきらめるしかありません。
たぶん、ぼくが自立するのを心配して、おかんならではの、そういう心理になっているんやとおもいます。
 

おとんが亡くなって、なんでもズバズバ決断し、どかん!て怒って、家族をひっぱってきた存在がいなくなったので、世間のノイズが、どんどんおかんに押し寄せている事も分かる。

 
 親戚があれこれ、ぼくや、おかんに口出ししたり自分の都合や気分でズケズケと指図するのも、怖いおとんがいないからだ。
それに、おかんの心配を調えるダムがなくなったので、おとんのかわりに、ぼくがおかんの心配事を解決するとゆうより、びしっ!と気合い的なもので、仕切らなくてはならないのかもしれません。
 
おかんは最近記憶がまともになったけれど、性格は変わらず心配症で、よそからみたら、グズやし、、、ぼくも似たような性格やけど、、、おかんは今は行動も自由やないから、じゃから、結局、おとんが守ってきた、いろんな人付き合いのバリアや責任は、ぼくがやる事になるとおもいます。
 

そうなると、つまり、ぼくは、おとんのように、つよい人間にならないとあかんのではないかと、おもいました。

 
 人づきあいの大きな気の流れとか、気持ちとかの川が、ながれていて、それをしっかりおとんのように、手入れしないと、いろんな人が土足で、おかんやぼくの心の中まで踏み込んできて、まずいんじゃなかろか? 
 じゃって、、、一昨日一時帰国している、おねんが、最近すこしおとんに似てきて、おとんのようにちょっとしたことで怒ったり、怒鳴ったりしています。
ぼくは、それに気づいた時、おかんに面白半分に、
「ああやって、怒るの、おとんみたいじゃよねえ〜(おーこわ!」て2人でこっそり笑ったけれど、
だれかが、ああして、おとんのように、仕切らないと、ぼくもおかんも、ニコニコぐずぐずしてるから、しゃあないんかもって、おもった。
 
じゃから、笑ってないで、ぼくも、しっかりおとんのように物をはっきりいったり、怒ったり、断ったり、しなくては、、、と思いました。
 
人付き合いで、嫌われない事も大事やけど、時間や気持ちの整理整頓をしっかりして、斬るものは斬らないと、自分の人生や、大事な人をしっかりまもれないんじゃないか、しっかり生きていけないんじゃないか、とおもいました。
 
で、でも、そんなこといえるのも、すこし人付き合いができるようになってきて、気が狂いそうやから、そう言えるだけで、、、
きっと、上級者は、うまく「我を通す」事ができるのかもしれません。
ただ、うまく我を通すなんて、難しそうやから、すこしは、人に嫌われてもいいのかもしれないと、かすかに思います。
 
じゃって、ぼくのまわりの、仕事できる人とか、いろんな事積極的にガンガン行動しているひとは、どこかでだれかに、陰口たたかれていたり、あいつ我がままだっていわれたり、あいつのまわりはイエスマンしかいなくなってるとか、いわれてる…。
  
そのへんの加減、まだよくわからないけれど、ぼくは自分に自信が持ちにくかったり、ほっとくと一人ぼっちやので、人に嫌われるのが怖くてしょうがないので、今後大きな課題です。
いっぱい嫌われて、裸の王様のようになったりするのは嫌やけど、、、
じゃけど、悪いことをしてないなら、おとんのように、堂々として、物をはっきり言うのもひつようなのかもしれないとおもいはじめました。
それも責任ある行動の一つやないかとおもいました。
 

今年のしめ

・・・ひょっとしたら、今年の日記はここまでかもやけど、いろいろ、ここみてくださったり、気にかけてくださったり、アドバイスくださったり、今年もありがとうございました。
ほんまは、今日も、むいいってなっててな、、、いま、実家からもどってきて、日記かいて、すこしでも冷静に自分をみれたらと思って、書きました。
 
来年はもうすこし、また、大人なって、がんばります。
 
ひとまず、今年は、おかんが、劇的によくなって、かなり歩けるようになって、いろんな心配もできるくらい元気になったことが、なみだ出るほどうれしいです。
 
じゃって、去年の今頃は、おかんに通帳みせたら「さっき、緑の洗濯機にテレホンカードいれた」とか言いだすし、「おとうさん、生きてて触ったら熱あった。生きているのに葬式しちゃってかわいそう」とか泣きだすし、立たせるとペンギンみたいに頭から倒れて縫ったり折ったりやし。病院は、2カ月で出ていけっていうし、、、自販機の前に車いすで連れて行ってコイン持たせても、使い方が分からなくて、コインを持って不思議そうに空中に文字かいてるし、僕の顔だけ、嬉しそうに振り向くから、おら、ほんま、どうなるかとおもって、、、と、とっても、ものすごく、怖かってん。
じゃから、おかんよくなって、もとの心配症のおかんが遠い世界から帰ってきてくれて、おら、ほんま一番うれしい。ぐすん。
今後も大変やけど、ここまでよくなってくれたのにも意味があると思うから、めげずに、がんばります。