★生きている事の条件や、温度のメモ

耳も目も不自由な人が、テレビに出てしゃべっていたよ。

 
http://www.nhk-jn.co.jp/WP/program/details/disp_j.asp?a=00&s=0&w=0&c=200808302027

ヘレンケラーと一緒やけど、この人はわりとしっかりしゃべっていて。
それだけに、不自由な世界がどんなものか、わかりやすく伝えてくれたよ。
 

目も耳もだめやと、真空の宇宙空間に、ぽっかりうかんでいるようなものなんやて。

恐ろしくひとりぼっちな感覚らしいよ。
 
たしかに、誰も見えないし、物音も気配もわからないから・・・。
 
目隠しして、ヘッドフォンしたら、孤独なはずだよ。
じっとしていたら、そのままずっと無の世界だよ。
自分が生きているのか死んでいるのかもわからないくらい不安じゃなかろか。
 
自分から何か触れにいかないと、世界に存在しないし、、、
自分から何か触れにいかないと、人間がどんなひとかもわからないて。。。
 
教壇に立った、そのひとは、ひとりひとりと指文字で触れ合いながら、男か女か、人の名前を楽しそうにおぼえていったよ。
生徒をいっぺんに見渡すことも、相手の表情も声も見えないなんて。

大勢の人を一度に知ることも、様子をうかがうことも出来ないなんて、おののいたよ。
 
生きているって、やっぱ、自分から人とつながって、お互い理解しようとつとめていくことなんかな。って改めて思ったよ。
 
しんだら、理解しようって努力もできないし。
だから、ひとりで、お互いりかいしようと努力しないことは、死んでいることにちかいのかもしれないと思ったよ。
 

相手を想いあうことの温度

最近、死んだ人が夢に出てくるとき、「死んだ人が会いにきた」として出てこなくて、生きていた時のままに夢の世界に存在しているよ。
夢の中では、ぼくの気持も、当時のままで、お友達がしぬなんておもっていません。
夢の中では、お互い電話して、遊びに行く計画をたてたりしていたよ。
その時の、お互いの存在感。
相手が考えて返してくるであろう言葉の予感。
遊びに行く時の、未来への期待。
それはそれは、日常の一瞬一瞬の間がとても暖かいよ。

ほんまは、おかんに会う時も、かれに会う時も、仕事の人にあうときも、あたらしいお友達に会う時も、とても暖かいここちよい気持ちが、行き来しているはずだよ。今は、雑念が多くて、みえにくいけれど。
 
じゃって、しんだ人と夢の中で遊んで、目が覚めたとき、
そういえば、こんなに相手を「ふんわり考える、なんてことない日常の温かい気持ち」は、
この人とは久し振りだったなって、思うから。
当時は気付かなかったけれど、お友達とも頻繁に会っていたわけではないけれど、
その、当時の「生きている者同士の存在の温かさ」は、いまになって、とても強く、感じ取ることができます。
 
・・・て、少しわかりにくいけれど、メモしておくよo(・Ω・*