★法事のとき、すこしいいことのメモ o(・Ω・*

ひまわりと、おとん

法事のとき、親戚が実家によってお茶していったとき。
一人冷静な、おとんの弟(おじさん)が、
「庭に、ひまわりの種やったの、なきぼくくんだろ?たまに見に来ているけど、ずいぶん生えてきたね」ていわれて。
 
ぼくは、おかんや、おばさんたちにも、何度か説明した時のように、
「ひまわりは、背が高くなるから、雑草が目立つとアレやから、道から見て目線が上にいって、枯れにくいじょうぶそうな花にしてみました」ていいました。
 
でも、おじさんは、ぼくの隠している心をしっていて。
ひまわりっていうのは、太陽みてそだつからね。
 おとうさんは、なきぼくくんと、おねえさん2人とも、光に関する名前をつけたんだよ。
 植物を育てるには、水と日光があれば大丈夫って言ってたんだ」て。
ずばり。ぼくの隠しテーマを、おじさんに言い当てられて、じゃっかんおろおろした。
 
たしかにぼくは、お花の種を店で選ぶとき、ひまわりのパッケージを手にして、おとんがこだわった名前の意味を思い出して買いました。
それに、おかんも、手術後、ぼくの名前を思い出せなくなっていた時、、、、一生懸命、ボールペンで
「あなたの名前は、、、おとうさんが、うちは、たいようのひかりがあれば大丈夫だから、、この文字で、、、」て思いだしてくれたりした。
 
さすが、おじさんは、おとんと同じ骨格をしているだけあって、いいポイントにきづいてくれたよ。
そういえば法事の時、おとんの話題がでたのは、それだけやったなあ。
 

お墓でオセンコ

法事でお墓参りしたとき、、だいたい、ああいうのって、みんな順番にオセンコあげるから、さっさと手を合わせて済ませるんじゃけど、、、
みんな、長く、まじめに、てをあわせていた。
その、表情は、ぼくや、おかんの事を、おとんに伝えてくれてるぽかった。
 

おかんは、いけばなのプロ

おかんは、2人きりになったとき、唐突に、ぼくの生け花をほめてくれた。
「玄関のところ、かっこよくお花してあるんじゃない〜?♪」て。
ぼくは、キッチンの窓のところにも、お花してあったので、その花器を持ってテーブルまで持ってきて
「これも、やったんだよ。いいかんじなってるやろ。キッチンぽいやろ」て見せた。
「うん。それみて、玄関のも思い出したの。」て。
ぼくは
「そんなに、かっこよかった?玄関の、むずかしかったんだよ。流木とか置いてあるから、積み重ねるの大変やった。適当にやったけれど、、、アレは、草月の、基本の、形出来てた?」て聞いたら
「あれはねえ、1時間近くかけて活けたでしょう?何度も何度も、いろんな角度からみて、ああじゃないこうじゃないって考えたでしょう?玄関から入る時みえるかたち、帰る時みえる形も、遠くから見たりしたでしょう?靴を脱いだり、履いたりして、行ったり来たりして、そして、なきぼくが全方向から見て一番かっこいい形があれなのねえ。お母さん活けてる手順や行動、全部わかる」
っていろいろゆってくれて、ほんまに、ドンピシャだったよ。
ぼくは、ひとりぼっちで、法事の用意して、お花したけれど、そのいけばなをみて、おかんが、ぼくが一人で家でお花のさぎょうしていたのを、まるでその場で見ていたかのようにいろいろいってくれるから、
ぼくは、なんじゃか、実はおかんも家に一緒に居て見ててくれたような気がしてきて、うれしかったです。
 
同時に、書道は、先人の書いた書の筆運びをまねながら、その先人の「書いた時の心」とシンクロするらしいけれど、
おかんも、いけばなをみたら、いけたときのぼくの心の動きがぜんぶわかったようなかんじでした。
いけばなは、表現するだけやなくて、そういう、いけたひとの指先の動きから、行動、心の中までみえてしまうんやなあと、思って、新発見でした。o(・Ω・*