★「一緒に遊べば、自然とともだち」 なん?o(・Ω・


今日は、おかんの「ともだち」と「記憶」の話です。

ぼくは、おかんの施設の夏祭りの時、写真をとってあげたんじゃった。
 
おかんには、この施設でできた「新しいともだち」が3人おるん。
お祭りの時もいっしょのテーブルでな。
みんなそろって、初めて写真をとってあげた。みんなお祭りでニコニコしてて。少し照れてて、幸せそうな顔やで。

それを、ぼくはセブンイレブンで焼き増しして。
先日、おかんと、おともだちに配りました。
おともだちが、ぼくとおかんのところに集まってきて。
  
長年家族がいない上品なおばさんは、生活保護をうけていて。
ベッドの周りは、殺風景で、お見舞い来る人もほとんどいない。
そのおばさんに、写真あげたら、震えるように心底喜んでいたよ。
 
このフロアにいる人は、軽度の記憶障害がある。じゃから、お友達にもおかんにも、写真を持っていてほしかった。
ぼくは、おかんの友達3人に、言ったんだよ。
「おかんも、たまに記憶が入れ替わったりすることあるやんか。みんなで、この仲良しのニコニコ写真もっていれば、何年たってもお互いずっと忘れないで、みんなずっとお友達でいられるよ」

・・・実は、おかんは、手術した最初の救急病院でも、大事な友達が1人出来てた。
隣のベッドのおばさん(学校の先生)で、おかんとそのおばさん、食事の時も、眠れない時よくベッドで同じテレビ見ながらカーテン越しに会話してた。2人とも『篤姫』を楽しみにしてた。
おかんが先に転院するとき、二人は名残り惜しく車いすで言葉を掛け合いながら、手を握って泣いていた。
なかなか手を放さなくて。看護婦さんが「みんな通れないから、もう手を放して・・・」ってやさしく注意したけど、2人は手を放さなくて、看護婦さんたちが部屋に入れなくてみんな困った顔して、諦めていたよ。
それに、おかんは、そのお友達と別れるのがさびしくて、家の住所を教えたがっていたけれど、記憶がないから住所も電話も教えるという行為がわからなかったようで。
バイバイする時、何度も「○○小学校の近くの○○中学校の通りの公園のちかくだから、いつでもきてね」って、泣いてた。
ぼくはその日、おかんの荷物整理してて、メモの切れ端みつけた。おともだちに、家の場所を説明しようと必死で書いた家の地図やけど、記憶が変やから、アバンギャルドで、地図かどうかさえ分からないようなものじゃった。
そんな、『必死につながっていたいお友達』だったんだなって、バイバイした時わかった。
けれど、おかんはそんな大事な友達の事、転院したらすぐ忘れてしまったんだよ!
…だって、数週間後、その友達と「別の病院」で再開出来ることになって。噂を聞きつけたぼくは車いすでおかんをお友達のフロアに連れて行ってあげた。
でもおかんは、友達だったこと忘れていて、すごく硬い表情なった。
お友達の会話や質問に、あいまいな相槌をうつおかん。
(自分には覚えがないのに、突然息子が「友達」という。何も会話ができない。自分の記憶もない。どういうことなのか)という不安な顔ていうか、叱られて逃げ出したいような硬い顔してた。
ぼくは、おかんが喜ぶと思っていたから、、、ショックじゃった。1分も話さないうちに、ぼくとおかんはトイレに移動して逃げた。
  
周りの家族は、患者同士が友達って覚えているけれど、、、、当人同士が覚えていないって、ぼくも、おかんも、つらいことじゃった。
お友達の存在は、楽しい日々の過去の記憶の共有とともにある幸せなんやね、たぶん。

じゃから、今後、おかんの写真だけでなく、おかんのおともだちの写真も、撮ることにしたん。
そして、おかんの友達にも、その写真をもっていてもらいます。
 
そんな経験があるのと、ぼくは大事なお友達を2人亡くした過去もあるので、ぼくは、おかんのお友達に真顔で言ったんだよ。
「なんねんたっても、この写真を見て思い出せば、ずっと、ずっと、ともだちなんだよ」て。
おばさんたちも、自分の記憶が若干頼りないことを一瞬思い出して、ハッとしました。
でも、みんなで安心して、みんなでうれしくて、みんなでいっぱい笑顔になりました。
ぼくはなんでか、、、このときばかりは、未来は明るいて、思えました。